| ドイツのソルブ人/ヴェンド人についての簡単な案内書 | ||||
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ブディシン バウツェン地域のプロテスタント・ソルブ ブディシン地域の住民は宗教改革の際、少数の例外を除いて、プロテスタントになった。福音を伝えるというルターの教えは偉大な文化的業績の出発点になった。なぜなら、小さなスラヴ民族は独自の書き言葉を発達させたからだ。こうして、今まで同じ規模の小さい民族がほとんど経験しなかった文化的繁栄の時代がもたらされた。ブディシン近郊の村 19 世紀までほとんどの住民がソルブ語だけしか話せなかった。
産業革命は工業化、農村構造の破壊、住民移動の増加とドイツのマス・メディアや学校の設置など急激な変化をもたらした。 19 世紀の終わりにブディシン地域のプロテスタント・ソルブは民族衣装の着用をやめた。 伝統衣装はすたれていった。プロテスタント・ソルブは二言語を話すようになったが、一、二世代以降になると、ドイツ語だけを話すようになっていった。 今日、ブディシン地域のプロテスタントの村ではソルブ語はめったに聞くことがない。ソルブ語は主に年老いた世代の間で使われている。ソルブ語を話す家庭は珍しい例外である。キリスト教区の中には月に一回ソルブ語の礼拝を行うところがある。ルター派の三人の牧師(そのうちの一人はソルブ人地域の教区監督)は自分達の教区の世話をすることに加えて、それ以外の時間にソルブ語の礼拝を行い、年一回開催されるプロテスタント・ソルブの信徒大会を準備し、日曜の午後などに行われるソルブ語を話す信徒達の集まりをとりまとめ、月刊プロテスタント雑誌 "Pomhaj Bóh"(「神の助け」)を編集し、ラジオでソルブ人向けの宗教放送を行っている。 若者と児童はソルブ語を学ぶことができるが、結局ソルブ語知識は限られたものになっている。ソルブ人児童のための礼拝式が行われ、キリスト教の教えがソルブ語で伝えられるプロテスタント教会はたった一つ(ブディシンの聖ミヒャエル教会)しかない。 今日のスラヴ的な名字と地名はかつてソルブ人がブディシン地域にいた事を証明するものである。多くの教会には、ソルブ語の銘、書物、旗、装飾品がある。 ここでは、今日まで普通に見られる教会と人々との比較的密接な関係は、かつてのソルブ人住民の敬虔さのなごりといえよう。 トゥルドラ マリンコヴァ ( Trudla Marinkowa )
*より詳しい情報は下記の場所で提供しています。 Serbske ewangelske towarstwo z.t. |
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